EU基本権憲章への疑問

アンヌ=セシル・ロベール(Anne-Cecile Robert)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部

訳・三浦礼恒

line

 1999年6月、ケルンの首脳会議で華々しく打ち出された欧州連合(EU)の基本権憲章は、これを阻止しようと共同戦線を張った人権擁護団体と労働組合から、大きな批判を受けている。ヨーロッパの人権保護を懸案とするドイツが発案し、今年10月13、14日にビアリッツで開かれた特別首脳会議で承認されたこの憲章案は、12月にニースで開催される定例首脳会議で宣言される見込みである(1)。加盟諸国の首脳は、「社会の変遷や社会的進歩、及び科学技術の発展に照らし、基本権の保護をより目に見える形で強化する」ためには、EUが独自の人権憲章を持つ必要があると考えたのだ。

 採択された条文には、3種類の条項が含まれている。第一に、個人の諸権利と基本的自由に関する条項。これは、主としてヨーロッパ評議会(2)の人権条約の焼き直しである。第二に、市民的、政治的権利に関する条項。ここでは、若干の修正を加えつつ、各国の憲法に表された内容が繰り返されている。そして、第三に経済的、社会的権利に関する条項。この最後のものが最大の論争を呼んでいる。

 最初の2種類の権利については、欧州裁判所の判例や、自由に関するヨーロッパの諸条約の内容と比べ、特に新味はない(3)。それに、次のように見る向きもある。新しく憲章をつくるよりも、EUがヨーロッパ人権条約に加盟する方が、話が簡単ではないか。新たな憲章案は、各国で、また国際的に、あるいはヨーロッパで、既につくられた諸々の人権保護規定をさらに錯綜させ、それらの文書の併存による際限のない法的手続きに拍車を掛けることになるのではないか、と(4)

 憲章案に不安を覚えたのは、「生存権」と婚姻権が規定されているのに対し、避妊権と中絶権が言及されていないことに気づいた女性団体だけではない。人権擁護団体からは、EU非加盟国を出身地とする外国人の権利について配慮されていない点が強調され、政教分離を擁護する団体からは、政教分離について一言も書かれていないといった指摘が出されている(5)

 社会的権利について言えば、多くの国の法律やヨーロッパ評議会の社会憲章、そして国際労働機関(ILO)の数々の条約と比べ、後退しているのは明白である。例えば、社会保障に関する権利は「各種の社会保険給付と福祉サービスを受ける権利」、労働権は「労働する権利」と「無料の就職斡旋サービスを受ける」権利、住宅権は住居費の支援を受ける権利にすぎなくなっている。

 労働者の権利については曖昧な規定にとどまっており、団結権、団体交渉権、経営諮問、厚生といったことは何ひとつ保障されていない。欧州労連(ETUC)のガバリオ書記長によれば、数週間にわたる粘り腰のあげく、土壇場になってスト権を盛り込ませたという(6)。その一方で、財と資本の流通の自由は序文の中で言及されている。

法的効力をめぐる議論

 憲章は補完性の原則(7)に基づいており、社会的権利に関する国内法の規定に準拠するといった書き方になっている条項も多い。また、後退禁止条項が設けられており、各国が憲章を引き合いに出して国内法上の権利を「制限もしくは侵害」することは禁じられる。これらの条項は最も進歩的な法規を守るという発想に立つものだが、「社会政策ダンピング」に歯止めをかける役にはあまり立ちそうにない。というのも、諸国が国家間や企業間の競争を繰り広げ、社会的権利もその一要素となっているヨーロッ統合市場において、憲章は最低限の社会政策があればよいという意味に受け止められてしまうからだ。

 社会政策に関し、20年来の既得権がはたして尊重されてきたかどうかは言うまでもない。欧州議会のラリュミエール議員が強調するように、基本権憲章の内容は 自国法の改善を求める人々にとって大いに問題となってくる(8)。そして、「社会的権利の下限」を定めるということは、1985年の単一欧州議定書に始まった動き、つまり1958年のローマ条約に書かれた社会的進歩という考え方から最低限の社会政策、関連法規の下向きの調和という考え方への転換を追認することにほかならない。

 この点から見ると、EU機関による社会的権利の侵害を防ぐ手段のように見られがちな基本権憲章は、逆巻く競争原理に対する貧弱な保護手段にしかならない。そのうえ、憲章は(EU機関によって遂行されるか、加盟国を通じて実現される)EUの管轄分野にしか関わらないはずなのだが、憲章中の規定が各国の権限全般に及んでいく可能性もある。実際にも、EU法は閉じられた小宇宙ではない。過去20年にわたって、もともとはEUの管轄外とされる分野にまでEU法が干渉した例は数え切れないほどある。EU法とEU機関の守備範囲は、運用を通じて常に拡張されている。EU官僚の登用試験を土曜日とした規約を欧州裁判所が問題視し、宗教の自由に介入した例もある(9)

 フランスでは、1789年の人権宣言ではなくヨーロッパ人権条約に根拠をおく法令が増えてきている。つまり、基本的人権の保護に関する条文のさりげない書き換えを通じて、いずれは基本的自由の内容がEU法の条文によって規定されるといった事態が予想される。それゆえ、基本権憲章の内容が無害であるとは言い難い。政治的また象徴的な観点から見て、基本的自由を規定した公式文書を見直すようなことは困難だろう。

 ニースの欧州首脳会議を間近に控え、憲章に拘束力を持たせるべきとの圧力もあるが(10)、そうした決定はなされず、公式宣言にとどまるものと考えられる。たとえ政治宣言にとどまったとしても、基本権憲章はやはり法的効力を生み出す可能性がある。過去の歴史が物語っているように、各種の裁判所は自らの権威の下に、当初は拘束力を持たなかった条文に拘束力を付与してきた(11)。 なかでも欧州裁判所は極めて大胆な判例を出すことで知られている(12)。もし、基本権憲章が拘束力を持つようなことになれば、縦横無尽な法解釈を許すことになる。各国の裁判所を上回る特別の権限を持つ欧州裁判所は、憲章の条文を事例に応じて解釈し、条文の意味を画定していくだろう。国務院(13)のジュヌヴォワ評定官によれば、「法治国家から訴訟国家への移行」が起きることになる(14)

 EUが必要としているのは基本権憲章ではない。それよりも、EUの運営方式やEUと加盟国の権限配分を定める原則、つまり、補完性の原則、均衡の原則(条約が定める目的から見た実施手段の妥当性)、加盟国間及びEUに対する誠実な協力の原則などを明確にする必要がある。このレベルにつきまとう不明瞭さこそが、EUを不透明で複雑な存在にし、その機能不全をもたらすともに、加盟国市民の積極的な関心を失わせているからだ。

(1) 60以上の組織から成る、欧州連合基本権憲章推進団体(http://www.charte-ccdf.org)参照
(2) ヨーロッパ全域を対象とした国際機関で、人権問題を中心的活動とする。欧州会議とも呼ばれる。[訳註]
(3) 例えば、マーストリヒト条約6条は「連合は自由、民主主義、人権及び基本的自由の尊重、並びに法の支配という諸原則に基礎を置く」ことを明記している。
(4) 『時事への視点』第264特別号(フランス政府刊行物等出版会、パリ、2000年8月)29ページ及び『科学・文化の横断』第65特別号(2000年10月)を参照のこと
(5) コンドルセ・サークルの宣言(http://www.laligue.org)を参照のこと
(6) リベラシオン紙2000年10月12日付
(7) 下位レベルの権限を重視し、上位レベルの権限はそれを補完するにとどまるとする政治原則。EUと加盟国の関係に即して言えば、EUの介入は、専権事項を別として、加盟国レベルよりもEUレベルの方がよりよく目的を達成できる場合に限られることが条約に規定されている。[訳註]
(8)前掲『時事への視点』16ページ。ヨーロッパ評議会の事務局長を務めたラリュミエール議員は、基本権憲章にも拘束力を付与する必要があると結論づけている。
(9) ユダヤ教では金曜の日没から土曜の日没までが安息日とされる。[訳註]
(10) 基本権憲章に強制力を付与させるためにかけられた圧力には、2000年10月19日の社会党協議委員の声明などがある。
(11) 例えばフランスの憲法院は、1789年のフランス人権宣言、1946年の第四共和制憲法前文、1958年の第五共和制憲法前文は、1958年憲法の一部を構成するとの見解を1971年に示している。
(12) 「知られざる欧州司法裁判所」(ル・モンド・ディプロマティーク1999年5月号)参照
(13) 政府の諮問機関と行政裁判の最終審の役割を兼ねたフランスの国家機関。[訳註]
(14) 前掲『時事への視点』34ページ


(2000年12月号)

All rights reserved, 2000, Le Monde diplomatique + Miura Noritsune + Watanabe Yukiko + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)