国家主権を超越する移民の力学

サスキア・サッセン(Saskia Sassen)
社会学者、シカゴ大学
著書『グローバリゼーションの時代』(伊豫谷登士翁訳、平凡社、1999年)
『労働と資本の国際移動』(森田桐郎ほか訳、岩波書店、1992年)

訳・奥村菜子

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 なにか空気が変わったのだろうか。フィンランドのタンペレで開かれた欧州首脳会議の時に、欧州連合(EU)諸国の指導者たちは、移民受け入れを制限する政策の継続を確認した。それから1年たった現在、12月のニース欧州首脳会議に向けた準備が進むなかで、ヴィトリノ欧州委員(司法・治安担当)が加盟諸国に対し、「過去25年間の移民ゼロ政策はもはや実際的でない」ことを認め、国内の労働力需要に応えるべく「もっと開放的な政策」を行うようにと求める事態になった。

 閉鎖された国境という神話が放棄され、移民や移民希望者をことごとく疑いの目で見るような姿勢が消えたことは、喜ばしい変化だと言ってよい。

 だが、新たな移民管理政策は、ヨーロッパで現に働く外国人を対象とした社会政策も、不法滞在者や亡命申請者の置かれた実におかしな状況への対策も考えていない。そこにあるのは、ヨーロッパ流のやり方で移民を振り分けて、「役に立つ」労働者は受け入れ、「役立たず」の労働者はお断りという方針だけだ。インドやモロッコの大学を卒業した者には門戸が開かれるが、望ましくない者となると、一部の者は見せしめとなって手錠付きで帰国の飛行機に乗せられ、多くは現状のまま、権利も将来もなく、耐えがたい条件の下で働き続ける。

 不法とされる移民への抑圧が強まっているのは、「交通整理」のできない政治指導者のパニックの表れだと言える。国際的な移住の動きを国民国家という狭い枠組みにはめて考えようとする限り、こうした感情はなくならないだろう。そもそも国家自体が、貿易、EUの建設、人権擁護といった分野で数々の国際協定を結ぶことにより、労働のグローバル化を促してきたのではなかったか。[編集部 フィリップ・リヴィエール]


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 経済のグローバル化が国家と国際体制を根本的に変化させている現代世界で、いまだに移民という事象を他の領域から独立したダイナミズムのように捉え、それに対する「処置」を国家が単独で行える専権事項のごとく見なすことができるものだろうか。国際移住の問題を考えるにあたり、国家が中からも外からも被っている重大な変化について、振り返らずに済ますことができるものだろうか。

 西欧、北米、日本では、移民管理が危機に瀕しているいう見方が支配的だ。そして、これが落ち着いた議論の妨げとなっている。そもそも、国家が完全に国境を管理するなどできないことは周知の事実である。重要なのは、国境管理をいかに効率的にするかというよりも、それをどう性格づけていくかという点である。現代の世界では経済が統合され、国際的に人権規約が結ばれ、各種の社会的・政治的権利が定住した移民にも広げられ、国内の政治主体が増大している。こうした世界の新しい流れの中に、移民政策をどのように組み込んでいくのか。

 国民国家は今でも、移民政策と銘打った法令を作文できるとはいうものの、国際法上のさまざまな義務によってしばられているため、従来の意味での移民政策は、もはや移民の現実のほんの一部にしか効力を及ぼさない。移民管理の危機をうんぬんする前に、現在までに国家が従ってきた外的な制約を分析することが必要だ。このような制約はますます増えていて、それが国家の移民政策の枠組みとなるだけでなく、国境や個人にかかわる政策もまた左右している。

 というのも、国際移住はそれだけで捉えられるような自律した現象ではない。国際移住の大きな要因として見逃されやすいのは、例えば次のようなものである。

  • 多国籍企業は、生産拠点の国際化により、地元の小さな生産者を押しのける。その結果、これらの生産者が伝統的な経済の枠内で生き残る見込みは薄くなり、一群の流動化した労働者が生まれる。さらに、輸出向け製品の生産拠点ができることによって、資本を求める国と提供する国との人的関係が促される。

  • 政府は、軍事行動を通じて住民の移動を誘発し、難民や移民の流出を促す。

  • 国際通貨基金(IMF)の課す厳しい措置は、貧しい者が生き残り策として(国内あるいは外国への)移住を考えざるを得ない状況を作り出す。

  • 自由貿易協定は、資本・サービス・情報の国際流通を強化するとともに、専門職労働者の国際的な往来を促す。

 政治家が国際移住を取り上げる場合に、他の分野にくらべて短絡的になる傾向が見られるのはなぜだろうか。国際貿易や国際政治といった領域の変容がもたらす経済的影響の検討にあたっては、専門家や政治家はひとつひとつの決定がさまざまな面でどのような影響を及ぼすかを勘案し、それらの妥協点を探ろうとする。ところが、移民問題が同様の方法で検討されることはない。他の主要な政策分野とは切り離し、まるで自律した領域として論じることができるとでもいうように扱われているのである。

 このような無自覚は、政策目標の妥当性はさておき、現に実施されている政策と目標とにズレがあることを示している。複数の政策分野が相互に影響することを認め、それを政策の検討や比較考量に加えることは、移民問題を論ずる人々すべてにとって有益ではなかろうか。1988年に私が移民問題について書き始めた頃には、こうした意見は理解されなかったし、議論の対象にさえされなかった。

 1992年になると、NAFTA(北米自由貿易協定)をめぐる議論の流れから、特にアメリカに来るメキシコ移民を焦点として、移住現象がもたらす影響の検証が試みられるようになった。他方、1990年に労働省移民局が画期的な調査レポートを公表し、アメリカの海外活動が移民の形成に与えるインパクトを公式に認める先がけとなった。一見するとそれほど重要とは見えないかもしれないが、それでもこの二つの例は、移民政策を塗り込める自律論の壁に大きな風穴が開いたことを表している。

 確かに、このようなインパクトを考慮するためには、移民を単に貧困の帰結、つまり個人的な選択の結果と見なす以上の複雑な思考が求められる。とはいえ、移民の現実を、それを促したと考えられる政策に結び付けることは重要である。労働力の輸入という先進国の選択こそが、移民の出身国と移住国との関係を作り上げ、これらの国やその他の国で移民という選択が人々にとって生き残りの手段の一つとなる条件を作り出していることは明らかである。

司法化する政治

 まず、アメリカの農業ビジネスの発展と、農産品市場のグローバル化が、多くの新興諸国を輸出向けの大規模農業へと押しやっている。その結果、生き残る見込みの低い小地主は大規模経営の賃金労働者となり、各地を転々とするようになる。いったん仕事のために他の地方への移住(場合によっては出稼ぎ)を経験すると、これらの労働者はすでに海外移民候補も同然である。

 同様に、欧米企業が低賃金国で製造工場や組立工場を建て、現地労働者を募集すると、若い女性が生産に重要な役割を果たしていた村の伝統経済は動揺する。男性は女性のあとを追っていく。初めは町から町へ、そして人によっては外国まで。彼らがどこへ向かうのか考えてみるといい。欧米企業で仕事をするということは、投資国との接触があるということだ。それは現地労働者とその国との心理的な距離を縮める。言い換えると、ここでアメリカ人向けの果実を摘むことができ、ここで家電製品の部品を組み立てることができるのなら、アメリカでも同じようにうまくできるはずだという発想だ。

 さらに、特に製造業に見られる傾向として、経営陣はこれらの労働者たちに、必要な能力だけでなく、職場に「適応」した態度を身につけさせる。つまり、彼らが欧米で働けるように訓練し、準備しているに等しい。すでに見られるように、特にメキシコやハイチ、ドミニカ共和国では、こうした労働者たちの多くが大々的な移民予備軍となっている。

 移民の流れが時間と空間に規定され、別の分野でとられた政策に大きく依存することは、移民の原因についての実地調査からも明らかだろう。この点は世界中の多くの大学研究でも示されている。移民とは、大衆の侵入でもなく、貧困から富へ向かう自発的運動でもない。ヨーロッパの歴史を振り返っても、移住規制がなく、距離的に近く、さらに諸国の格差が大きい場合でさえ、貧しい地域を離れて豊かな地域へ向かう人々は少なかった(1)

 そう考えると、移民に対する危機感は正当とは言えないのではないか。国家が望んでいるほどの管理を実施できないとすれば、それは移民がもっと別の力学に従っているからである。時代を通じて、地球上のあらゆる場所に、特殊なメカニズムに従って高度に規定され、調整され、バランスを保っている移民の流れが見出される。こうした人口移動は一時的に、多くは20年ほどしか続かず、いずれ途絶える。

 また、一般的に考えられるよりも帰国の動きは強い。イスラエルからロシアへ戻るソビエトのユダヤ系知識人や技師、あるいは滞在合法化措置の後に自国に帰るメキシコ人、つまり「身分証」のおかげで晴れて二国間を自由に往来できるようになった移民のことを考えてみればいい。

 実地調査の結果を見ればわかる。大部分の人は外国への移住をほとんど望んでいない。移住せざるを得なかった人の多くも、自由にできるものなら移民先に永住するより、母国との間を往復したいという。

 経済のグローバル化の他にもうひとつ、国際関係に起きた大きな変化で、移民管理をめぐって国家の権限と拮抗するものがある。それは、国内あるいは国際法上で、人権に関する法制度が力を持つようになってきたことだ。今や、国際法の中で「忘れられた存在」だった少数民族、移民や難民、女性が法の主体として浮上している。それに沿って新しい法的地位が定められると、同じ国家内のさまざまな集団間に数々の緊張が生まれる可能性がある。その結果、先進国では、行政による決定を不服とする移民や難民、亡命申請者の人権の擁護が問題となり、司法が戦略的役割を担うようになった(2)

 行政権が拡大し、政治が司法化するというのは、国家管理主義が放棄されているということでもある。移民問題に関し、西欧やアメリカでは、立法者による決定を不服とする人々が、ますます頻繁に法廷に訴えるようになっている。

 移民規制における警察権の強化は、これらの国で非常に重視される人権や市民社会の擁護とはなかなか折り合わず、法的紛争が生じるのは必至である。移民政策を取り締まりに限定した結果、国家は移民の流れを規制する能力を確立するどころか、紛争の多発に直面する羽目になった。

 このように、経済のグローバル化と国際人権法制とが、国家間関係に変質をもたらした。それは、ビジネスの世界からNGOに至るまで、新たな市民活動の場の形成と強化を助けてきた。移民問題は、ますますこの新しい世界と交差し、ところどころで重なり合う。そうして、少なくとも部分的に、主権国家の管理を逃れてしまうのである。

超国家的アプローチの下で

 もちろん、国家自身もまた、世界経済の新秩序の形成に寄与してきた。国民国家は世界資本主義が突きつけた要求に応じて、新しい形の合法性を作り出してきた。新たな合法体制の形成や正当化のためには、さまざまな社会集団の参画方式、それに欠かせないインフラといった面だけでなく、国家としての活動という面に即した新しい世界地図を描く必要があった。

 国境を超え、ついには国家の枠をも超えたメカニズムが次々と現れた結果、大きな問題を各国政府が単独で処理することはますます困難になっている。これは国民国家の終焉を意味しているのではなく、むしろ、「国家の権能の排他性と最終性(3)」が変化した事実を表している。つまり、国家の権威と正統性が、他の主体を排除した形で機能しうるような領域はほとんどなくなっている。それとともに、もはや国家を中心としない権力システムの制度化が進み、狭い意味での国家間システムを飲み込んでいる。特に国際金融と国際ビジネスに顕著な傾向である(4)

 一方ではすべてが多国間主義へと押しやられ、他方で移民問題の扱いは単独主義にとどまっている。この矛盾に対する答えとして、国際移住の特定の側面に限って、法律上というより事実上の二国間主義や多国間主義に基づく管理方式が次々と打ち立てられている。経済統合が進められ、あらゆる分野で政府が超国家的アプローチを強いられるようになった西欧を見るといい。EUは、亡命を望む人々の待合所と化した中欧の国々との交渉を進め(5)、非合法移民を取り締まるために、中欧やマグレブ諸国の警察近代化に向けた援助プログラムを展開している。一方では国家の絶対権力の単独行使を声高に叫びつつ、他方では多国間協調に頼るといった例は少なくない。

 EUの建設という類例のない現象は、資本の流通と移民の往来という、異なる分野にかかわる制度を調和させることの難しさを物語っている。EU共通政策の定義と実施は、移民政策にあたって経済の急速な国際化を考慮することが絶対に必要であることを明らかにした。EU構築の諸段階についてのある研究では、どの時期に国家が矛盾と向き合い、そして可能な限りその解決を迫られることになるかが浮き彫りにされている(6)。国境を超えた経済空間が形成されるにつれ、従来の移民政策の枠組みが問題となってくる(7)。特に先進国では、世界的な経済統合の進展との衝突が起こる。

 しかし経済統合は、必要とあらば、国家が移動の自由に加える制限をも骨抜きにする。国民国家の主権の一部は、超国家機関へと移されつつある。その最たるものがEUとWTO(世界貿易機関)である。これまで政府が人口と国土の管理に用いてきた知的な道具立てのうち、かなりの部分が今や国家以外の機関の手中にある。その証拠に、国境を超えたビジネスの統制が国家の枠組みを超えた民間の手に移され、世界金融市場の論理が諸国の経済政策にますます優越するようになっている。

 サービス分野における労働力の移動について、GATT(貿易関税一般協定)やNAFTAの枠組みで設定された新制度は、事実上、一時的な移民労働者を対象としているにもかかわらず、従来の移民の概念とはまったくかけ離れたものになっている。いずれもWTOのような国家から独立した超国家機関の下、流動性の促進がうたわれている(8)。国境を超えた労働に対する規制の一部が民間の手に移っていく実例だと言える。

 事実、この二つの重要な国際協定は、扱いやすく有益なものをまたもや民間へ移そうとする。そこでは、移民政策の要素の中でも以下のものだけが取り上げられる。

  • 付加価値が高いもの、つまり教育レベルの高い人々、あるいは多くの資本を持つ人々。

  • 柔軟性のあるもの、つまり一時的な移民となる可能性がきわめて高い先端分野の労働者で、はっきりと目に見え、識別可能で効果的にコントロールできる人々。

  • 収益性のあるもの、つまり通商と投資についての新しい自由主義的見地の下で収益性のある人々。

 突き詰めれば、国家の手に残るのは、移民のうち「問題のある」ものや「付加価値の低い」ものだけということになりかねない。貧しい人々、低賃金で働く非熟練労働者、難民、生活保護の必要な家族、そして熟練労働者ではあるが政治的緊張を招きそうな者などである。移民労働者のこうした選別は、「移民」と呼ばれるものの中身に今後大きく影響するだろう。そして、国際的な移民という政策対象がその中で最も難しい部分に限定されることが、どのような政治的意味を持つのかは容易に想像できる。

(1) See Guests and Aliens, The New Press, New York, 1999.
(2) 極言すれば、国家はもはや主権(とそれに伴う規範力)の唯一の担い手でもなければ、国際法の主体が国家に限られるわけでもない。NGO、少数民族、超国家機関といった他の主体が、国際法や国際関係の主体として台頭している。『グローバリゼーションの時代』参照
(3) James Roseneau, Along the Domestic-Foreign Frontier. Exploring Governance in a Troubled World, Cambridge University Press, Cambridge, 1997.
(4) See Yves Dezalay and Bryant Garth, Dealing in Virtue. International Commercial Arbitration and the Construction of a Transnational Legal Order, The University of Chicago Press, Chicago, 1996.
(5) イェーレ・ファン・ブーレン「東欧は移民流入防止の緩衝地帯」(ル・モンド・ディプロマティーク1999年1月号)参照
(6) James Hollyfield, Immigrants, Markets and States, Harvard University Press, Cambridge, 1992.
(7) Demetrios G. Papademetriou and Kimberly A. Hamilton, Converging Paths to Restriction : French, Italian and British Responses to Immigration, Carnegie Endowment for International Peace, International Migration Policy Program, Washington, DC, 1996.
(8) NAFTAは本来なら代議士が行うべき決定を数々の専門家パネルに委ねている見る者もある。この傾向には、政府から民間への権限委譲の動きが示されている。


(2000年11月号)

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