「第三世界とは何もの」であったか

イマニュエル・ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)
ビンガムトン大学フェルナン・ブローデル・センター所長、イェール大学客員研究員

訳・清水眞理子、吉田徹

line

 「第三世界」という言い回しは今や時代遅れの感がするが、一世を風靡していたのはそう昔のことではない。この盛衰は、移ろいやすい流行の永遠の循環に位置づけられるのか。もしくは、政治の重要な裏面を秘めているのであろうか。

 言葉そのものはフランスの人口学者アルフレッド・ソーヴィにより、1950年代初頭に初めて用いられた(1)。彼はまた、序を書いたジョルジュ・バランディエ監修の著作名を『第三世界』とした(2)。それが瞬く間に世界の知識人の議論に取り入れられた。

 一体なぜであろうか? 戦後の政治論争を思い起こさねばならない。第二次世界大戦の終結はファシズムの敗北、西洋とソビエトの連合軍の勝利を明確にした。世界は一息ついていた。ヨーロッパは戦争で大量破壊を被り、物資調達も困難な状況であったが、楽観的な雰囲気が新たにただよっていた。

 しかし、平和の到来も束の間、冷戦が起こった。国家間の関係は、その主役たる米ソを軸に構築されていった。現代から振り返れば、この新たな枠組みはいささか形式的なゲームに類しており、その変数や限界はあらかじめヤルタ協定で定義されていたと考えられるかもしれない。しかしながら、回顧的な観点を導入したところで、両陣営の対立の現実、ぶつけ合った感情の深さ、そうした感情が状況分析や大衆意識に及ぼした影響は、何ら減じはしない。要するに、人はあくまで冷戦の枠の中で思考していたのである。

 それだけに、第三世界概念の創出には重要な意義がある。地球上には、いずれの陣営に加担するかではなく、自国に対して米ソがいかなる態度を示すかを最重要問題と考える広大な地域が存在する。これを思い起こさせたのが「第三世界」の出現であった。1945年当時は、いまだアジアの半分、アフリカ、カリブ、オセアニアのほぼ全域が植民地状態にあった。他に「半植民地」諸国が多々あったことはいうまでもない。これら広大な保護領は「工業諸国」を(はるかに)しのぐ貧困にあえぎ、「民族解放」を優先課題としていた。

 「第三世界」という表現は、これら諸国に共通する特徴とともに、これら諸国が必ずしも冷戦に取り込まれてはいなかった事実を強調していた。また、共産主義と反共産主義の間の「第三の勢力」をつくろうとする一部のヨーロッパ知識人の試みにも関わっていた。「第三世界」という表現は、そもそもがフランス革命とシェイエスの有名な一節に由来する。「第三身分とは何か。すべてだ。現在までの政治秩序において何ものであったか。何ものでもない。何を求めているのか。何ものかになることだ(3)

 当初、米ソ両国とも第三世界諸国にも彼らの要求にも関心を向けなかった。アメリカは植民地問題を完全に二義的なものとみなし、宗主国の勝手にまかせたが、それらの国々は海外領土の早期独立など夢にも考えていなかった。一方ソ連は、自国軍の部隊を展開していない諸国に関する限り、たとえ共産党主導であろうと民族解放運動なるもの全般に不信感を抱いていた。1946年以降は内戦に突入したギリシャの共産党を見捨て、中国共産党に対しては蒋介石と話をつけるようにと腰の引けた助言を繰り返した。毛沢東はこれを一顧だにしなかったし、同じくソ連軍が駐留していない共産国ユーゴの指導者、チトーもまたソ連に逆らった。

 このように、50年代半ばまで米ソにとって、ジョン=フォスター・ダレスの表現に従えば「中立主義は非道徳的」であった。しかし、この態度はじきに立ち行かなくなった。第三世界の現実が押し寄せてきたのである。

 アジアでは植民地は復活しなかった。第二次世界大戦中、アジアの大部分は日本に占領されていたので、終戦後、この地域の宗主国の地位は弱くなっていた。アメリカは1946年にフィリピンの独立を認めたが、フランスはインドシナの独立を認めず、蘭領インドのオランダも同様であった。その結果、戦争となり宗主国は敗北した。イギリスは引き際が早く、ビルマ、インド、パキスタンの独立を認めた。中近東では状況がより複雑であったが、同様の決着を見た。

 かくして「脱植民地化」の時代が幕を開けた。これは与えられたのか、奪いとったのか。おそらく両方である。ある植民地が独立を勝ち取ると、それが宗主国に別の植民地の独立承認を促した。このような気運が高まり、第三世界はその結果、自らを組織化し、理論化していった。

 1954年、冷戦の二元論をよしとしないインドのネルー、エジプトのナセル、インドネシアのスカルノ、セイロンのコパラワラの5人の首脳が集まり、バンドンでアジア・アフリカ会議を開催することを決定した。どの国を招請するかが問題であった。何らかの国家間勢力の形成を望んだ主催諸国は、独立国だけを対象とした。重要な決断として中国を招請し、日本、両ヴェトナムも招請した。しかし南北朝鮮は対象外であった。

 ソ連はアジア地域に共和国のあることを理由に会議への参加を望んだが、拒否された。1955年の時点で既に、中国とソ連は異なる扱いを受けていたのである。ソ連は翌年、この件から教訓を導き出した。すなわち、第20回共産党大会と有名なフルシチョフ報告を経て、第三世界の民族解放運動を「ブルジョワ」「反動」とみなすのをやめ、急に態度を改めて、そこに「民主主義」さらには胎動する「社会主義」の力を認めるようになったのである。ソ連のジェスチュアは大して効果がなく、多くの第三世界の指導者は「進歩主義」統一ブロックとして社会主義諸国と連帯しようとはしなかった。

1968年

 60年代を通じて、自主路線を行く第三世界主義運動は追い風を受けていた。アジア・アフリカ諸国は「非同盟諸国」、フィデル・カストロのキューバ革命の成功後は「三大陸諸国」の旗を掲げ、ラテンアメリカとの連帯を強めた。冷戦期の米ソはこれを非難するどころか、積極的に機嫌をとろうとした。それも道理であった。1960年には第三世界諸国が国連総会で過半数を占めるようになり、反植民地の気運を正当化するような一連の宣言が採択されていったのである。そして、70年代は第三世界の発展の10年となった。それが最高潮に達したのが1973年、西側諸国を震撼させた石油輸出国機構(OPEC)による原油価格値上げ決定[いわゆるオイルショック]であった。はたして「先進」世界は産油国に依存するようになったのか。

 27年後の今、世界は新自由主義のグローバル化の渦中にある。人々は目をこすりながら、いかにして運命の輪がここまで回ってきたのかと自問する。もはや誰も、リビアがアメリカを買えるなどとは思わない。統制経済は時代遅れとなった。バンドン会議の精神は消えた。このような方向転換がなぜ、いかにして、起こったのか。

 すべては1968年の、二重の意味における世界革命に始まった。この世界革命は、西側諸国、社会主義諸国、第三世界諸国という3つの世界で急激に展開した。そして、すべての反乱はそれぞれの語法の違いを超えて、「世界システム」の2つの主題を反復していた。

 第1の主題は地政学に関わる。68年の革命家はアメリカの覇権と、ヴェトナム戦争のようなその最も凄惨な示威行為を糾弾した。同時に彼らは、アメリカの覇権との「ソ連の共謀」を告発した。中国は「2つの超大国」を槍玉に挙げた。西側諸国では、その流れに乗った活動家が、真っ先に第三世界との連帯を情熱的に推し進めた。「第1、第2、第3のヴェトナムを(4)」の時代であった。

 第2の主題についても語らねばならない。1945年から68年にかけて、ほぼ世界各地で、100年来の夢が現実となった。共産主義、社会民主主義、民族解放という三者三様の運動が、ついに国家の指導権を握ったのである。共産主義体制(またはそう標榜する体制)は地球の3分の1に広がっていた。西側諸国はケインズ主義を採用し、福祉国家、合法的「左翼」政党、政権「交代」を体験していた。民族解放運動は第三世界で勝利を収めたか、まさに収めつつあった。三者のいずれも、19世紀末に溯る二段階戦略から構想を得ていた。まず、国家権力を手に入れ、次いで世界を変革する。第一段階が完了した時点で、その結果から第二段階を評価せねばならない。1968年当時、革命家の成果は惨憺たるものであった。期待された変化はどこにも起こらなかったのである。

 こうして、人は幻滅への道を歩んだ。1978年、ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール誌上にジャック・ジュリアールが「第三世界と左翼」と題する論説を載せ、反論を待つとした。彼がここで批判する体制は腐っており、不公正で、警察的であり、時には血なまぐさかった。さもなければ混乱し、独裁的で、やはり残虐非道であった。彼の結論によれば「人民の権利は人権圧殺の主要装置と化した」。同誌は翌年、「第三世界主義」を嫌う論文を5本、擁護するものを5本、折衷的なものを5本集め、論争を一冊の本にまとめた(5)。ジュリアールはそこで「第三世界主義」を「今や滅んだ社会主義的終末論の代用品」と呼んだ。

 ベルリンの壁が崩壊し、共産主義体制が終焉をみると、「第三世界主義」をめぐる論争の火も消えた。それを議論しようとすれば、深刻に考えすぎているとみなされることは避けられなかった。時代の潮流は「人権」と「介入の義務」に移っていた。湾岸からアフリカ、バルカンに至るまで、「介入」の10年が到来した。その「輝かしい」成果については周知のごとくである。無論、介入主義の信奉者によれば、成果が振るわなかったのは、介入が不適切に、ためらいがちに恐る恐る行われたせいということになるが、この潮流は第三世界では、文明を広める使命という帝国主義ドクトリンの復活のように受け止められている。相互の無理解は、まさに完全である。

 グローバル化まっさかりの現代、この新たなすばらしい経済は持てる者の株を押し上げ、仲間として認めない人々には自分が悪いのだと説き、破滅にまかせている。排除された集団は、かつて第三世界と呼ばれていた集団を何やら思い起こさせる。

 われわれは一体いかなる段階にいるのか。資本主義世界経済は絶頂を極めているように見える。それゆえにこそ、資本主義世界経済は危機にさしかかっている。世界システムが解体しつつあるのである。

 資本主義は他のあらゆるシステム同様、自らのメカニズムが常軌を逸するたびに、すなわち基準からの乖離が度を超えるたびに、均衡を回復するメカニズムのおかげで維持されている。そして、新しい均衡は決して以前の均衡と完全に一致することがない。この乖離が一定規模に達すると反システム運動が起こる。資本主義世界経済は他のシステムと同じく、一定の周期的変動をはらんでいるのである。

資本蓄積の限界

 1945年以来、世界経済は典型的なコンドラチェフ循環(6)を経験している。

  戦後の世界は「黄金の30年」を迎え、西側諸国も、社会主義圏(ことにめざましい成果を上げた)も、第三世界も驚くべき発展を遂げた。これはまた同時に、アメリカの揺るぎない覇権と、民族解放運動の繚乱の時代でもあった。

 次いで、経済不況と失業の増加を特徴とする「B局面」が長期にわたり続いた。旧型産業は厳選された低賃金諸国へと移転し、これらの国々の発展の契機になるかとみえた。コンドラチェフ循環のB局面は必ず生産拠点の移転を伴い、かつては資本蓄積の重要な手段となっていたが、資本蓄積の側面は事業の独占的性格の消滅とともに失われた。移転先の国々は、「おさがり」の発展を得るにすぎなかった。

 B局面は、資金が(もはや利潤の少ない)生産から投機へと移動する過程でもあった。債務危機が起こり、蓄積された資本の大量逃避が招かれた。ここ数年の資本市場の過熱は、B局面が投機のうちに終了し、新しい独占を生み出す次のA局面が始まりつつあることを意味している。

 このB局面を通じて、第三世界は政治的な結束と影響力を失っただけでない。経済状態も目に見えて悪化した。かつてないほど両極化が進み、人類史上に前例がないほど所得と生活条件の格差が広がった世界システムの中で、第三世界は周辺として生き延びるようになったのである。

 上で述べたとおり、資本主義世界システムの均衡は完全に回復されることはない。それは、システムを支える変数が反システム運動によって変更されるからである。すなわち、均衡は常に揺れ動き、周期的変動と長期的トレンドによって決定される。しかし、長期的トレンドはいずれ限界に突き当たるため、無際限に続いていくことはない。

 長期的トレンドが限界に突き当たると、もはや周期的変動によって均衡が回復されることはない。システムは常軌を外れ、危機に陥り、分岐点にさしかかる。それぞれの道の向こうには、新たな周期的変動と長期的トレンド、新たな均衡を有する新たな構造が待っている。しかし、どの道に進むことになるのかを予見することはできない。そこには、必ずしもシステムの制約に従わない無数のファクターが関わってくるからである。これこそが、現在まさに起こりつつある事態なのである。

 この事態を見極めるためには、限界に突き当たりつつある長期的トレンド、つまり、際限なき資本蓄積(史的システムとしての資本主義の特性)に歯止めをかけることになる3つの主要な長期的トレンドを検証する必要がある。これらは三重の圧力となって、システムの主要な推進力の働きを妨げ、構造的危機を誘発する。

 第1の長期的トレンドは、世界の実質賃金総額として示される生産コストの割合と関係する。これが低いほど利潤は上がる。他方、賃金水準は世界経済の各領域の内部における力関係によって決定される。より正確にいえば、対立する集団それぞれの政治的な重みに関わる。つまりは、階級闘争と呼ばれる関係である。賃金水準が市場によって決定されると考えるのは誤っている。賃金水準を左右するのは、一つには各領域の労働者の有する政治的勢力であり、一つには経営者による事業拠点の選択である。そして、この2つのファクターは絶えず変化する。

 それぞれの領域の労働者は経営者との交渉を有利に進めるため、労働組合に類する組織と活動を実現しようとする。この動きに資本家が政治的反撃を加えるのは必至であるが、政治機構の「民主化」は近代世界システムの長期持続的な趨勢であり、労働階級の政治力はほとんどの国で増大した。

 労働者の台頭に対し、世界中の資本家は事業拠点の低賃金地域への移動をもって応えてきた。それには各地の労働者の熟練度を比較して利潤を計算する必要があり、政治的にもデリケートな作業となる。

 低賃金労働の主要な供給源となっていたのは、労働市場に新たに流れ込み、世界水準を下回る賃金を受け入れる農村出身者であった。彼らの稼ぎはそれでも農業に従事するよりもよくなるし、社会的に根無し草となり、政治的な方向性をなくした移住労働者は、自分たちの利益を守る術を知らない。しかし、こうした背景は時とともに薄れ、彼らも賃上げを求めるようになる。

 だが、世界は500年前から脱農村化を続け、特に1945年以降、農村地域は激減している。あと25年もすれば、これまで低賃金労働者を供給してきた農村は世界から消滅するだろう。そうなると、移転先を失った資本家はもはや足元の階級闘争を受け入れるしかない。資本家の優位はこうして失われる。先進国でも途上国でも実質所得は両極化しているとはいえ、最貧困層ですら政治のノウハウと市場の知識を強めている。インフォーマル経済でなんとか生活している大量の失業者のいる地域でさえ、スラムの住人たちが、正規の賃労働に従えというのなら相応の賃金を与えよと要求できるようになる。こうして、資本家の利潤はますます圧迫されるようになる。

反国家の潮流

 資本主義を動揺させる第2の長期的トレンドは、資材のコストに関わるものである。このコストの構成を見ると、購入価格のほかに処理関連の負担が含まれている。購入価格は100%企業によって負担され、利潤も生むが、処理費用はしばしば第三者に転化される。例えば、原料の加工によって有毒物質が発生するような場合、それを廃棄する費用も最終的にはコストに含まれる。企業は当然、こうした費用を最小限に抑えたいと考える。形ばかりの処理をほどこした後に、汚染物質を小川に垂れ流す企業もあるかもしれない。経済学者はこれを「コストの外部化」と呼ぶ。

 上の例で考えてみよう。小川に流された汚染物質は、小川そのものを汚染するだけでなく、数十年後に重大な二次災害を引き起こす可能性もある。つまり、正確な計算は困難とはいえ、外部化されたコストは現実に存在する。汚染を除去しようと社会が決定した場合、作業を手がける主体(多くは国家)がコストを負担することになる。この企業は、生産の実質的コストを社会へと転化することで、原料費を圧縮し、利益マージンを拡大できるのである。

 しかし、生産拠点の移転によって賃金水準を低下させる場合と同じく、こうした理屈が永遠に成り立つわけではない。汚染する小川や伐採する森林がなくなるにつれて、生態系の危機が刻々と深まっているからである。過去500年間の無責任な行動の果てに、こうした状況にわれわれは直面しており、世界中で急激にエコロジー運動が高まっている。

 汚染の除去と生態系の回復を政府が大々的に呼びかけることもできるだろうが、それには莫大な費用がかかる。この費用を誰が負担するというのか。汚染元と考えられる企業なのか、それとも市民なのか。企業が負担する場合は利益マージンが急激に下がり、市民が負担する場合は税負担が大幅に上がることになる。現に起きている汚染を止めないまま、汚染の除去と生態系の回復を試みるのは、アウゲイアス王の家畜小屋の掃除にも等しい(7)。論理的には、資材コストの完全な内部化、つまり企業によるコスト負担と利潤マージンの圧縮が適当ということになる。こうした社会的ジレンマへの現実的な解決法が資本主義世界経済の枠内には見出せない以上、これが資本蓄積を阻害する第2の構造的制約といえるのである。

 第3の長期的トレンドは税制に関連する。税は公共サービスの財源であり、あまりに高いということでもない限り、企業も合理的な生産コストの一環として税負担を許容する。では、課税圧力が高まる原因は何か。1つには安全保障(軍隊や警察)の要請があり、過去数百年にわたって公的支出を恒常的に拡大させてきた。他方では、文民官僚制を整える必要もあった。官僚制は当初は徴税業務のため、次いで近代国家の業務多様化に応じて拡大を続けてきた。そこには、大衆の要求を満たすための福祉サービスの展開も含まれる。これにより、貧困層の不満が高まっても、ある程度の政治的安定を確保できた。

 アメを与えて「危険な階級」を飼い慣らし、階級闘争を封じ込めるために大衆の主張を聞き入れること(われわれが「民主化」と呼ぶ過程)もまた、過去数世紀の長期的トレンドであった。主な分野は教育、保健、そして失業保険や老齢年金による生涯を通じた所得保障である。しかし、社会保障が普及しても、要求水準はさらに高まっていく。

 こうして、各国はどうしても増税に傾き、資本の蓄積が阻害されるようになる。それゆえ、資本家は、家計の税負担に言及して大衆の支持を図りつつ、大幅な減税を訴える。しかし、減税が大衆的テーマになることはあっても、福祉サービス削減が大衆に支持されることはない。税金が高いと文句を言う者ですら、公共サービスの充実を求めるものである。

 以上見てきたように、ますます顕著になりつつあるトレンドに起因する3つの構造的制約が、資本家による資本蓄積の能力を圧迫する。その結果として起きた危機は、国家機構の正統性の喪失により、さらに深刻化する。というのも、国家は資本家が資本を蓄積するために、本質的に重要な構成要素だからである。国家は、実質的な利潤の唯一の源泉である事業独占を可能にし、「危険階級」を(抑圧するか買収するかして)飼い慣らすのを助ける。そして国家は、ある程度の忍耐を大衆に教え込む様々なイデオロギーの源泉となっている。

 我慢しなさい、改革は行われるから。今すぐではないにしても、子供や孫の世代には物事は改善するだろう。より恵まれた、より公平な世界が、じきにやってくる。これが、150年前に主流となった自由主義イデオロギーの約束である。それはまた、革命を叫んでいた反体制運動の約束でもあった。

 もちろん、共産主義や社会民主主義、民族解放を掲げた運動は、独裁体制や植民地体制、あるいは単に保守的な体制に対する闘争を行っている間は、忍耐を奨励するどころか逆であった。しかし、1945年から1970年にかけての時期(コンドラチェフ循環のA局面に相当)に権力の座に就くと、のしかかる期待の中で、今度は彼らが民衆に対し、輝ける明日を辛抱強く待つことを求めるようになった。だが、何も起こりはしなかった。これらの運動は世界中で民衆の期待を裏切った。革命後の政権は、必要とされる数々の改革を実施したとはいえ、所得格差を充分に埋めることはできず、真の政治的平等を実現することもできなかった。そして世界システムは資本主義経済にとどまり、中心から外れた体制が富裕諸国に「追いつく」ことは構造的に不可能であった。

 彼らの歴史的な失敗は、反体制運動に対する大きな幻滅をもたらした。多少の支持が残ったとしても、より保守的な運動に比べればましと考えられただけであって、新しい社会構想の旗手として期待されたわけではなかった。こうして、大衆は国家機構に対して感興を抱かなくなった、世界各地で、それまで国家を変革の担い手とみなしていた人々は、国家に変革を進める力などあるのか、社会秩序を維持する能力すらないのではないかと、きわめて懐疑的になった。

 こうした世界的な反国家の潮流は、ただちに2つの帰結をもたらす。

 第1に、社会不安が高まって、個人が国家から治安維持の役割を取り戻すようになる。人々が自ら防衛手段をとれば、カオス的な暴力に拍車がかかり、国家の統治機能が低下するという悪循環を導く。世界システムを構成する国によって時期や速度は異なるものの、この傾向は各地で強まっている。

 第2の帰結として、正統性を失った国家は、「危険階級」を飼い慣らすことができなくなり、資本家が必要とする独占状態をもはや保障できない。資本家が世界的に利潤率を逓減させる3つのトレンドに直面しているというのに、国家は以前ほど、このジレンマを解決するための支援策を提供できずにいる。その結果、偉そうに「介入」を主張するようになった旧左翼の政権よりも、世界銀行にいるような多国籍企業の代弁者たちの方が、今や第三世界の懸念に配慮していると見られる場面も多い。

人類の創造性が問われている

 以上をもって、われわれは資本主義世界経済が、今後半世紀にわたって続くかもしれない重大な危機的状況にあると断定できるのである。次なる問題は、現在のシステムから別の単一あるいは複数のシステムへの転移の過程で何が起きるのかということになる。分析的視点に立てば、コンドラチェフの波とシステム危機との相関関係の問題であるといえる。政治的視点に立てば、転移の過程において可能かつ望ましい社会活動とはどのようなものかという問題となる。

 コンドラチェフ循環は、資本主義経済の「正常」な働きとして起こるものとはいえ、システムが危機に突入したからといって中断されるわけではない。システムの動きを規定する様々なメカニズムは作動を続けている。現在のB局面が終了すれば、新しいA局面が始まることになるだろう。いや、それは既に始まっているのかもしれない。

 比喩によって考えてみよう。資本主義システムを、正常なエンジンを積んでコンドラチェフの坂を下る車に見立ててみる。この車には、これまで見てきたように、車体や車輪のダメージにたとえられる3つの制約がある。そこで、この車は坂を下ることはできるのだが、まっすぐには進まない。そのうえ、ブレーキもよく効かない。さて、この車は一体どうなるのだろうか。それは誰にもわからない。ただ、運転手がアクセルを踏んだら、車が崖に転落することは確かだろう。

 その昔、ヨーゼフ・シュムペーター(1883〜1950年)(8)は、資本主義は失敗によって崩壊するのではなく、その成功によって崩壊するだろうと予言した。本稿が検証してきたのは、資本蓄積の永続性を保証するものと考えられていた資本主義の成功こそが、長期的にみて資本蓄積を構造的に制限してきたという事実である。シュムペーター仮説の具体的証拠がここにある。

 故障した車の例でいえば、こうした状況では理性的な運転手ならば車をゆっくり走らせると考えるのが妥当だろう。ところが、資本主義経済には残念ながら慎重な運転手がいない。いかなる個人も集団も、単独では必要な判断を下すことができない。多くの行為者が、それぞれの目先の利害に従って個別に行動しているため、下される判断はそれらの集積となる。これからますますカーブが増えるにもかかわらず、車は減速どころかますます加速するに違いない。

 世界経済の新たな拡大期には、資本主義を危機に追いやった諸条件が激化する。技術用語でいえば、揺らぎはますますカオス的になっていく。それと同時に、国家機構の正統性喪失に伴う果てしない悪循環の中で、個人や集団の安全は脅かされる。その帰結として、世界中で暴力が日常化するだろう。

 そして幕を開けるのは極度の政治的混乱である。現在の世界システムを理解するために考案された分析枠組みはもはや通用しないように見えるが、そうも言い切れない。従来の分析で、消えゆく現象を記述することはできる。ただし、転移そのものを記述することは不可能である。

 目の前の現実は、政治活動によって流れを変えられる性質のものではない。その反面、転移の帰結が予測できず、揺らぎが激しさをきわめているだけに、どんなに小さな行動でも大きな反響を生むことになるだろう。われわれは現在、自由意志を真に発揮しうる歴史的瞬間に立ち会っているのである。

 この長い転移の過程では、大きく分けて2つの政治勢力が対立することになる。別の形態の下であれ、現在の不平等なシステムに結びついた特権を守ろうとする勢力と、より民主的で平等なシステムを生み出したいと考える勢力である。もちろん、前者はそのように名乗るわけではない。彼らは改革者、新民主主義者、自由の擁護者、進歩主義者、あるいは革命家をすら標榜する。だが、用いられるレトリックではなく、提言の内実にこそ目を向けなければならない。

 いずれの陣営が勝利を収めるかは、双方の動員力と、そしてかなりの部分、現在のシステムに代わる解決策として優れた現状分析を生み出す能力にかかっている。われわれが1世紀後に、変化が激しくなればなるほど変革は起こらないものだと回顧することを避けたいと思うならば、知識、想像力、実践力を結集させるべき時期にさしかかっている。転移の帰結は本質的に不確定であり、それゆえにこそ、人類の介入と創造性とにかかっているのである。

 第三世界という概念は、60年代の政治状況において形成された。しかし、80年代には意義が薄れ、90年代には完全に死語と化した。しかし、この概念が指し示す現実は、なくなったどころか悪化している。冷戦という、第三世界の概念を育んだ一過性の枠組みは消滅した。しかし、新しい枠組みによって、真の問題が明らかとなった。それは、資本主義世界経済の両極化と、その構造的危機である。われわれは、歴史的な選択を迫られているのである。

(1) ソーヴィはフランス・オプセルヴァトゥール誌に「三の世界、一の地球」と題した記事を寄せ、「なおざりにされ、搾取され、侮蔑された第三世界は、同じように何かであることを望んでいる第三身分のごとしである」と記した。
(2) 『第三世界、低開発と発展』(PUF、パリ、1956年)
(3) エマニュエル=ジョゼフ・シェイエスのパンフレット『第三身分とは何か?』(1789年1月)
(4) チェ・ゲバラが三大陸人民連帯機構書記局の機関紙で表したメッセージ。[訳註]
(5) 『第三世界と左派』(スイユ社、パリ、1979年)
(6) ニコライ・コンドラチェフ(1892〜1938)によると、過去2世紀の経済は長期波動に従っている。科学・技術革命による成長局面(A)と、過剰設備と過剰資本による後退局面(B)の2つが、50〜60年周期で交代する。
(7) ギリシャ神話に出てくるアウゲイアス王は、広大な家畜小屋をずっと掃除せずに放置していた。[訳註]
(8) バンジャマン・コリア、ロベール・ボワイエ「創造的破壊もしくはシュムペーターの復権」(ル・モンド・ディプロマティーク1984年9月号)を参照のこと


(2000年8月号)

* 改訳の上『力の論理を超えて』に収録、NTT出版、2003年8月

* 一つ目の小見出しの二つ前の段落「ベトナム」を「ヴェトナム」に訂正(2002年11月16日)
* 第六段落「シェイエスの有名な一説」を「シェイエスの有名な一節」に訂正(2003年4月13日)
* 第四段落「懐古的な観点」を「回顧的な観点」に訂正(2003年6月2日)

All rights reserved, 2000, Le Monde diplomatique + Shimizu Mariko + Yoshida Toru + Saito Kagumi

line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)