石油王国サウジの明日は

アラン・グレシュ特派員(Alain Gresh)
ル・モンド・ディプロマティーク編集長

訳・清水眞理子、柏原竜一

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 日々絶え間なく砂漠は減少する。リヤドの町から四方八方へと、まるで高速道路のように広々とした大通りが延びていく。「5年前には何もなかった」と、アメリカさながらの超近代的な地区に立って、人はつぶやく。周囲には巨大なショッピングセンター、高級ブティック、サイバーカフェ、マクドナルドが立ち並ぶ。地価は数十年で20倍、30倍、50倍になった。高層ビルはほとんど見かけない。サウジに少なくない財力ある人々は、柵のついたマンションよりも開放感のある一軒家を好む。ベドウィンの血は争えない。空に突き出ているのはモスクのミナレット(尖塔)だけ、「不死の指導者」や「最高の救世者」の彫像が街路の調和を乱すこともない。ここでは神のみが崇拝される。

 首都の人口は、一日千人の単位で増加する。現在は400万人、2007年には600万人に達するだろう。1970年には、都市生活者はサウジの総人口の4分の1にすぎなかったが、30年後の現在、80%が都市で暮らす。2世代の間に進んだ都市化により、フランスの4倍の広さのあるアラビア半島は様変わりし、アラビアのロレンスを魅了した遊牧民族は21世紀の定住民へと変わった。しかし、「砂漠の王国」は、西欧の冒険家や征服者の記憶の中ばかりでなく、都市経験の浅い住人の郷愁の中にも生きている。彼らは週末になるとエアコン付きの四駆を駆って、あの何もない広大な土地へと向かうのだ。

 朝の道路は、てんでに勝手な運転をする車でごった返す。車を持つというアメリカン・ドリームは日本カラーに染まり、フォードの代わりにトヨタが走り回る。リヤドでは歩行者は気にも留められていないから、大通りを渡るのは命知らずの冒険である。公共の交通機関はないも同然で、どこへ行くにも果てしなく乗り継ぎを繰り返さなくてはならない。この都市は、石油に酔いしれ、大西洋の彼方の蜃気楼に幻惑された都市計画家たちの手から出現した。サウジ王国の最初の首都ディリイヤは、1819年にメフメト・アリー率いるエジプト軍に破壊され、かろうじて修復された廃虚にすぎない。多少は残っていた旧市街も一掃された。未来が輝いているというのに、過去に戻るいわれがあるだろうか? 1980年代、手の届かない星などないように見えた(サウジの宇宙飛行士の初飛行は85年のことだ)。どんな途方もない夢も夢物語ではないように見えた。そして、砂漠は緑地に変わり、サウジは小麦の主要輸出国になった。

 しかし、サウジ社会の豪勢な表の顔に、細かい傷が走りはじめている。見るからに新しい大病院も、運転資金がなくて中身は空っぽだ。街角では夜になると若い物乞いが現れ、車を止める。貧しさはもはや移民の専売特許ではない。リヤドの町では断水も珍しくなく、耐えがたい夏のさなかに停電が頻発する。

 確かに国は豊かである。サウジは世界第一の石油輸出国であり、多くの発展途上国の目を(掛け値なしに)くらませるほどの石油収入を誇っている。だが、1974年には一バレル26ドル(1995年当時のドルに換算)、84年には44.5ドルの水準にあった石油価格は、98年には14.5ドル、99年には17ドルに下落した。こうしてサウジの国家予算はイスラム暦の83−84年度から赤字に転じ、最悪となった86年には国内総生産(GDP)の20%に達した。2000年度には4%程度の赤字が見込まれている。1981年には1万6500ドルあった一人あたり国民総生産(GNP)も、6000ドルにまで下がった。インフラは老朽化し、石油、電力、通信、工業、教育、保健、つまり大半の分野で主流を占める国家セクターは、民間セクターと同様に賃金未払いを重ねている。そして国内債務は98年、GDPと同額に達した。

 これらの事実は昔から国民に知られてはいたが、今では公の場で議論されるようになった。もはや国家の責任者も隠しだてをしない。躍進と繁栄の時代(アッヤム・アル・タフラ)は過去のものとなり、石油価格は堅調になっても以前の水準に戻ることはない。病気のファハド国王に代わってサウジの最高権力者となったアブドゥラ皇太子は、77歳の年齢とは思えない力強さで繰り返し次のように説く。「グローバル化は我々の足元まで来ている。その力は科学技術分野では絶大である。我々は猛烈に働いて、経済社会システムを近代化させねばならない」。しかし、皇太子はこうも言う。「保守性という我々の社会の本質的な特性を放棄してはならない」。西側のある外交官は、「改革という言葉は宗教的な含みがあるので使われず、再構築ということで議論がなされている」と語る。そこで処方されている対策は他国で奨励されているものと大して変わらないのだが、伝統を重んじるサウジでは多くの機構に揺さぶりをかけ、数々の特権の見直しを迫るものとなる可能性がある(1)

 1998年9月、皇太子はアメリカを訪問する。これは政治的に重要な訪問で、イランとの関係改善に見られるように、彼が国際舞台で重要な役割を果たしていることを示す効果を持った。しかし、訪米の目的はそれだけではない。皇太子はある晩、80年代に「サウジ化」した石油会社アラムコの旧株主シェブロン、モービル、エクソン、テキサコを含む石油会社7社(2)の幹部と会食した。この席で何がささやかれたのか? うわさはまたたく間に尾ひれが付いて広がった。サウジが探査と採掘(いわゆる「川上」、対する「川下」は回収、運搬、販売、精製)を含む石油部門を、外国の投資家に「開放」するつもりらしいという(3)。石油各社は、数カ月以内にアイデアや提案を提出するようにと求められた。

 アラムコが独占を放棄するとは、まさに革命である。大きな欲望が渦巻きはじめた。サウジアラビアは地球全体の埋蔵量の4分の1を占める石油の大産地で、採掘費用はきわめて低い。しかし、皇太子は確約を避け、提示される案件を査定する用意があると述べるにとどまった。常の通り国内の議論はベール越しにしか見えなかったが、開放賛成派と開放反対派の対立が認められた。アラムコの幹部で権限縮小に賛成する者はほとんどなかった。1年におよぶ激しい交渉の末、2000年1月4日、有力な王族と閣僚や官僚を集め、石油・鉱業問題最高評議会が設立された。微妙な決定を行うに当たって、国家のすべてのセクターを呼び集める(俗に言えば、引きずり込む)という手法である。

アブドゥラ皇太子の舵取り

 1カ月後、国王は評議会に石油各社との交渉という任務を与え、このゲームの規則を示した。石油の川上業務はアラムコの独占とするが(4)、天然ガスの川上業務と石油の川下業務には外資を受け入れてもよい。その条件は未定であるが、特にインフラ拡充への支援が必須条件となるだろう。外資への門戸開放によって、国内消費量さえまかなえない天然ガスの生産高の増大や、石油精製部門の投資回復が期待される。3月上旬、政府の公認通信社のインタビューに対し、アブドゥラ皇太子は次のように語った(5)。「我々に示されたさまざまなプロジェクトの規模は1000億ドルに達する。この1000億ドルが我々のところで投資されなければ、よその競合プロジェクトに投資されてしまうことを、胸に秘めておくわけにはいかないだろう」

 あらゆる分野で資本が不足している。サウジの4500億ドルの在外資産をはじめとする資本を呼び込むことが優先課題である。「今後20年で電力部門だけで1500億ドルが必要になる。全額を自前で調達するのは無理だろうから、電力生産部門に限って外資を受け入れたい。ただし、配電と送電は国家の手に残しておく」と工業省の役人は説明する。2000年2月、この政策変更を促進する目的で、サウジ電力会社が立ち上げられた。これは10社ほどの会社を統合し、株式の85%を国家が所有する企業である。外資へ門戸を開く前の最後のステップと見なされている。電気通信部門もまた、似たような展開をたどっている。

 アメリカや「自由主義世界」の盟友として反共政策をとってきたサウジアラビアは、かねてより事業の自由をうたっている。しかし、外国人による投資は極端に規制されてきた。外国人による株式取得は禁止され、取引は国民に限定されていた。この制限の一部は政府の許可によって解除されたが、サウジの投資ファンドを介することが条件とされる。「満員状態」の部門も外資を締め出している。銀行、建設、清掃しかり、出版、流通、それに石油の川上部門しかりである。他方、いかなる外国人労働者も土地や不動産を所有できない。彼らはそもそも、政府に対する身元保証人となるサウジアラビア人の管理の下におかれている(6)

 1999年に設立され、皇太子を議長とした経済最高評議会は、改革に向けて厳しい舵取りをしている。羅針盤の示す方向は、国家支出の削減、経済の多様化、公的部門の縮小、若年層を対象とした職業訓練と雇用の創出である。2000年2月20日、評議会は2つの法案を採択した。外国人投資の自由化と外国人投資家の一括窓口となる機関の設立である。評議会はまた、サウジ工業基金が完全外資企業にも融資を与えることを許可した。これに並行して、世界貿易機関(WTO)との交渉が最終段階を迎えた。サウジアラビアは9月までの加盟を希望している。交渉では、投資自由化や関税引下げ、保険会社の営業にいたるまで、さまざまな問題が議論されている。

 なんらかの方針がたとえ決定しても、それが維持されるとは言い切れない。王家は一枚岩ではなく、舵を握るのは一人ではない上に、さまざまな暗礁を避けていかなければならない。称揚されている改革は、権力中枢にいる者も含めた諸々の既得権益を侵害することになるからだ。皇太子は石油会社との交渉が「各社と政府責任者の間のみで行われるべき」ことを、各社の社長に対して「個人的に保証」した。そして「透明性のないプロジェクトは拒否する(7)」と付け加えた。口利きやコミッションが日常化しているこの国で、もしこれが実施に移されたら革命にも匹敵するだろうが、すでに皇太子が王族たちの大盤振舞の一部に釘を差したとのうわさも流れている。

 しかし、経済改革は他の分野での透明性、つまりサウジ王国の運営に深く根ざした秘密主義の文化を放棄しないことには始まらない。「仕事がなく自宅にいる人間ががどれほどいるか誰も知らない。(中略)外国投資の総額が幾らになるのか誰も知らない。国民がポケットの中に、あるいはベッドの下に忍ばせている通貨の総額についても同様で、これは国の外貨準備高を上回るとも言われている。社会保障、水道その他の公共サービスなど、多くの分野についてかなりのことが知られていない」。アラブ系の大新聞の一つであり、アブドゥラ皇太子を社主とし、サウジ全土で広く読まれるアッシャルク・アル・アウサト紙の論説記者は、こうした現状批判の結論として次のように述べる。「情報の収集が第一段階となるべきだ。収集した情報を重要な軍事機密であるかのように隠したりせずに公開することが、個人や企業、政府の利益の点から求められる(8)

 先の不明リストに、国家財政を付け加えることもできるだろう。軍備の購入には多額のコミッションが関わってくるだけに、軍事支出の額は不明瞭である。それに「王室費」の総額、つまり王家の家族と王家に忠誠を誓った部族の長に定期的に支払われる金額は、タブーとされている。だが、リヤドのあるジャーナリストが月額20億リヤル(約560億円)という見積もりを出した。この額は国家の歳出の15%から20%にのぼる。

 多くの知識人、それに実業家や中産階級は、皇太子が改革を遂行し、その政治的帰結を引き受けるつもりでいると信じているが、他の人々は懐疑的な見方を崩さない。

モスクと衛星放送の併存

 経済の中心地ジェッダは、紅海に面した王国の主要港である。この町は何世紀も前から、沖合いに目を向けて、メッカを訪れる年間数十万の巡礼者がしずしずと船をおりてくるのを待ちかまえている。首都と比べて部族間の関係にもうるさくなく、風紀も緩やかで、新聞もいろいろなことを書いている。「アブドゥラは側近にとりまかれるすべを心得ているが、この側近の声が大きいことは否定しがたい。しかし、そこで提案された解決策では問題の解決にはならない。余りに多くの権益が変革の前に立ちはだかっている。サウジには名義貸しで生計を立てる人間が数万人もいる。民間セクターでさえも国家を必要とする有り様だ」と、実業家の一人は語る。

 ある大学研究者は次のように述べる。「危機が起きる度に、変化への賛歌が響きわたる。しかし結局のところ何も変わらず、権力は依然として王室に握られている」。決定機構は時として、うんざりするほど鈍重である。インターネットがなかなかつながらないことについて、「この問題に対する解決は見つかるのだろうか」とアン・ナドワ紙は問いかけ、「あるいは他の問題と同様に、問題そのものがひとりでになくなっていくと考えることにしようか」と書く(9)。ある有力日刊紙の編集長は東洋風の感慨に沈んで、次のように指摘する。「我々はベドウィンなのだ。満天の星の下、テントの前に腰をおろし、それからじっくりと考えるのだ。ようやく決断したときには、いつも手遅れになっている」

 すでにもう手遅れなのだろうか? 答えは人口の大多数を占める若者にかかってくる。毎年、20万人以上の若者が労働市場に掃き出されている(10)。これが好景気の頃は、まったくのんきなものだった。大学を卒業すれば官僚になるか公的セクターに行くかして、高給をとることができた。あるいは外国企業に名義を貸して、相当な配当金を手にすることができた。あり余る金を家族や国家が注いでくれたし、必要な費用まで出してくれることもあった。どの学生も一カ月あたり1500フラン(約2万3000円)ほどの金を与えられていた。

 この制度のうち現在も続いているのは奨学金だけだが、それもいつまでもつか知れたものではない。公務員の採用は打ち止めになった。外国人労働者の身元保証人制度はWTOのルールにそぐわない。失業率は男性人口の27%に達しているとされるが、この数字が正しいのか誰も知らない。中産階級の所得は徐々に低下し、ガソリン価格、水道代、電気代は上がり、家族が子供の生活を保証するのは難しくなってきた。地方にも根深い貧困が広がっている。以前は仕事を見つけるのに大いに重要だった個人や部族の人脈も、人口が爆発的に増えた結果、細くなったり利かなくなったりしている。確かに大部分の場合、「失業」は貧困の代名詞とはなっていない。しかし、これからもそうだとは限らない。

 「10年前だったら、求人広告を出しても、せいぜい1人の応募しかなかった。しかもそれは総支配人のポストだった」と語るのは、ジェッダのホテルの支配人である。「昔だったら働くことに意義があるとは思われていなかった。同じ求人を今すれば500人の応募があることだろう」。フロントでは若いサウジの男性が客を迎えている。人目につきにくい厨房を仕事場に選んだ者もいる。国外に出稼ぎに行くむきもある。昔に比べて外国や、時には出身地以外の地域で働くのを恥とする意識が弱まっている。しかし大部分の事業主は、こういった変化を認めつつも、率直に次のように述べる。「外国人労働者の方が安くつく。頼んだ仕事はこなすし、時間通りに来る上に、週6日でも働いてくれるからね」

 外国人労働者はサウジの総人口の4分の1、労働力の3分の2以上を占めている(11)。政府は何年も前から「サウジ化」計画を推進しており、企業が雇用しなければならないサウジ労働者の割当分は増える一方だ。教育や職業訓練の制度の評判がきわめて悪いだけに、この政策は企業経営者に大きな不評をかっている。

 あるジェッダの男性実業家(最近では女性の実業家も増えているが、男性ジャーナリストがお目通り願うのは難しい)が、独創的な解決策を発見した。「我々は税金を払わないですんでいるので、サウジの若者のための基金を創ってみた。我々はそこに訓練を受けにやってくる若者およそ100人に手当を与えている」。彼はこのシステムを全国に拡大すべきだと強く推奨する。だが、労働という文化を浸透させるには時間がかかるだろう。それを待たずに何百もの企業が海外に移転し、何万人もの若者が仕事にあぶれてしまうだろう。

 「イスティラーハ」という言葉がある。「休息」という意味だ。夜ともなれば、リヤド一帯の喫茶店やレストラン、クラブは「イスティラーハ」で大いに賑わう。屋外で、隣り合わせに並んだ幾つものボックスの中、3人から4人の若者グループが地面に座り込み、飲み食いし、そしてテレビにかじりつく。それぞれのボックスには、高さ2メートルのところに受信機が付いている。そこに衛星放送によって、世界中の映像が万華鏡のように次々と映し出される。観客の大部分が合わせているのはレバノンのチャンネルで、厳格な服装規定のあるサウジの番組では見られないような格好の女性スターが、歌やダンスを披露している。

 非の打ちどころのないイスラム教の世界で育てられたサウジの若者が、グローバル化による近代の「来襲」にさらされている。ある実業家は語る。「我々の生活は宗教によってリズムを付けられている。世界中のどの国にもまして。人間の時間が宗教の時間と混じり合っている。我々の身振りや行動の一つ一つにも宗教の刻印が押されているのだ」。祈祷の時刻になる度に、時間が止まる。商店はカーテンをおろし、役所も業務を中断する。すべてのイスラム教徒は祈祷の時刻にはモスクに赴かなければならない。このような教育とテレビ、祈祷と携帯電話に、どのようにして折り合いを付ければよいのだろうか。WTOへの加盟が「文化侵略」の序曲になるのではないかと心配する声も上がっている。アメリカとの交渉では、信教の自由、女性の権利、それに映画の問題が取り上げられた。映画館というものがないサウジに対し、アメリカは映画館の開設を要求した。「そうすれば、若者が退屈して麻薬にふけるのを防止できるってわけだ」と、ある担当者は諦めたように言う。

妻が運転できなければ・・・

 ここでもまた、女性は社会の矛盾の渦中におかれている。ほかのイスラム諸国でも、これほど女性に課せられた制約の多い国はない。女性は車を運転してもいけないし、一人で動き回ってもいけない。ほとんどの公共の場で男女の席が分けられ、行政サービスの大部分も女性用に特別の支部を設けている。ほとんどいつも人目につかない女性たちは、サウジの空の陰の半球のようなものだ。とはいえ、女子教育は一般化しており、現在17万人を数える学生の過半数は女子学生が占めている。女性の労働をテーマとする講座もある。仕事を持つ女性は20万人とまだ少ないが、着実に増加しつつある。最も非開明的な伝統の足かせを現実が打ち壊しつつある中で、進歩をうたう人々と宗教関係者の一部や保守層の間で、表には出てこない戦いが繰り広げられる。何もかもが摩擦の源になるといった様相である。

 1999年5月、アブドゥラ皇太子は次のような声明を出した。「我々は何人にも、サウジ女性の役割を軽視し、サウジで女性がまさに占めている地位を取るに足らないと見なすことを許さない。サウジ王国が我々の母、姉妹、娘たちの役割を過小評価しているなどと言うことを、許してはおけない(12)」。この声明は物議をかもした。皇太子の言葉は曲解されたものであり、サウジの女性が「解放」を必要としているわけではないと、政府筋から「解説」が出される始末だった。その数日後、大ウラマー(イスラム学者)たちの評議会は、女性が車を運転することは認められず、男女の同席は許されず、ヘジャブ(頭部を覆い、しばしば顔まで隠す布)の着用は義務であるという見解を繰り返した。

 しかし議論はそれで終わらなかった。99年11月には内務大臣が、まもなく女性も自分の身分証明書を持てるようになると発表した。次いで2000年2月、皇太子の後援で毎年開かれているジャナディリヤ大文化フェスティバルが、嫌味と陳情の大合唱を引き起こした。女性芸術家に光を当てすぎだというのだ。「電話に反対しているのも、テレビに反対しているのも、女子教育に反対しているのも同じ人々だ」と、ある大学研究者は淡々と語る。

 この論争には経済的な側面もある。「従業員の一人に早めに出社してもらうとしよう。もし彼が運転手をかかえていない場合、妻が運転できなければ、子供たちはどうやって学校に行けばよいというのか」と、ある企業経営者は首をかしげる。サウジには外国人女性労働者が40万近くもいるが、経済的な制約を考えると、これらの職をサウジの女性に回した方がよいのではないか。それに、女性のために運転手を務めることだけを仕事とする数万人の外国人労働者は、サウジ経済にとって過大な負担になっていないだろうか。

 ワッハーブ派の解釈によるイスラムの理想は、サウジ社会の枠組みを作り上げ、王室の影響力を強化してきた。新聞には反アメリカ的な論調が並び、サウジはパレスチナ人の権利、レバノン南部の抵抗運動、ゴラン高原に対するシリアの要求を支持している(13)。エリートたちは欧米モデルを道徳的退廃(そしてイスラエルの無条件支持に通じるもの)として拒絶するふりをするが、その一方では、外国のテレビを見て、グローバル化に身を投じ、ニューヨークやパリへの旅行を夢見ている。イランのシャーとは反対に、サウド王家は近代化と伝統的価値の厳格な遵守、アラブやムスリムの団結と死活的に重要なアメリカとの同盟関係とを両立させようとしてきた。

 分裂病とも言えるような、この微妙なバランスが脅かされようとしている。誰もが感じているように、新しい均衡点が発見されなければならないのだ。それは、ある者にとっては希望の対象であり、ある者にとっては恐れの対象である。「どんな変化でも前向きなものになるだろう」と、ある英字紙の編集者は言う。「メディアの中で社会問題、公害、環境問題を語りやすくなった。多くの者が特権を失っていくだろう。こうした動きを拒否する人々は消え去るだけだ。政治改革抜きの経済改革など有り得ない」

(1) 「サウジアラビア王室のたそがれ」(ル・モンド・ディプロマティーク1995年8月号)
(2) ARCO、フィリプス、コノコの幹部も同席。
(3) 国営企業に石油とガス部門の「門戸開放」を促した理由については、『アラブの石油とガス』誌(パリ)2000年2月16日付にすぐれた研究がある。
(4) 石油の川上部門の開放を拒否した理由は、当時サウジが日量250万バレルから300万バレルだった生産を上回る生産余力を持っていたことなどに求められよう。
(5) アル・ハヤト(ロンドン)2000年3月10日付
(6) 『サウジアラビアの外国投資の枠組み』(フランス経済普及センター、リヤド)
(7) アル・ハヤト、前掲
(8) アッシャルク・アル・アウサト(ロンドン)1999年10月20日付
(9) アラブ・ニュース(ジェッダ)2000年2月22日付に転載。
(10) サウジの人口は2000万人で、そのうち500万が外国人である。2010年には人口は3100万人に達する。人口のうち46.2%が15才未満である。1980年から97年にかけて人口増加率が4.9%から3.8%に下がったとはいえ、人口増加の勢いはいまだに力強い。
(11) 「サウジ社会の底辺の出稼ぎ労働者」(ル・モンド・ディプロマティーク1998年10月号)
(12) サウジ・ガゼット(ジェッダ)1999年5月3日付
(13) サウジアラビアは中東和平の交渉と確立を支持している。その証拠に、たとえばサウジはすでに何十人かの学生にヘブライ語を修得させている。


(2000年4月号)

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