新フランス男性・雑誌事情

エリザベット・ルクレ(Elisabeth Lequeret)
ラジオ・フランス・アンテルナショナル記者

訳・安東里佳子

line

 男たる者は、泣かない、愚痴らない、めそめそしない、決して弱みを見せない、いつも冷静でいなければいけない。これが長い間、男のあるべき姿だった。70年代の頃、この社会から思いきり押し付けられた「超自我」から、男たちは(ほんの少しだけ)逃れることができた。とはいえ、80年代にはいると再び、個人的な功績とか、効率性、職業的成功といったものを追い求めなければいけないような雰囲気が復活した。2000年代の夜明けを迎え、男たちは自分のあり方を疑問に思うようになってきた。というのも、かつては彼らの縄張りだった場所に、女たちが割り込んできたからだ。「僕たちの読者のモットーは、“僕は完全ではないけれど、それはそれでいい”だと言えるかな」と語るのは、FHM(For Him Magazine)誌のブリューノ・ゴセ編集長だ。競合誌メンズ・ヘルスのクリスティアン・モゲルー編集長も言う。 「今の男性は、心の安らぎ、身の回り、愛情、友情といったものを優先しています。“僕の値打ちは何?”ということが大きな課題だった80年代は、もう遠い昔のこと。今では、“どうすれば満足に過ごせるのか?”の方が問題なんです」

 メンズ・ヘルスとFHMは、ここ数カ月の間に街角のキオスクで大ブレークした男性雑誌の代表格だ。ピンク雑誌の山と自動車情報誌の最新号の間に置かれていることが多いが、新しい男性雑誌の登場をしっかりと感じさせる。より気楽で、より読者に近づいた、より共犯的な雑誌。そして、固定観念にとらわれない雑誌。たとえFHM誌の魅力的なカバーガールの露出度がそれなりに高くても、ゴセ編集長に言わせれば男性本位の雑誌ではなく、セクシーページはあくまでもお飾りにすぎない。まあ綺麗ごとという気もしないではないが、まるで外れたことを言っているわけでもない。それは他の男性雑誌を見れば分かる。かつての主流、一言で言えば「お尻とオープンカー」という作りの雑誌は、今や落ち目になっている。リュイ誌は廃刊に追い込まれたし、にっこり笑ったスターのグラビアを毎月あきもせずに載せていたマックス誌のような芸能誌も、売上ランキングの上位から滑り落ちてしまった。

 つまり、男たちの求めるものが変わったのだ。メンズ・ヘルス誌が読者に興味の対象をアンケートしたところ、トップは健康(62%)、次にセックス(53%)、食生活(32%)と続き、スターという回答はほんの15%にすぎなかった。「10年前なら順位は逆だったと思いますね。つまり、カッコイイ車やヌードの女性ぬきの雑誌なんて、昔は考えられなかった」とモゲルー編集長は説明する。ということで、メンズ・ヘルス誌は「努力しないでスーパーボディになろう」とか「君もセクシーダイナマイトに変身」といった派手な見出しを連発して、毎月10万部から12万部を売り上げている。ライバルのMマガジン(1998年4月創刊、フランスの男性雑誌の草分け)も同じ路線を行っている。FHM誌も、99年6月の創刊号は24万部も売り、その後も月々12万部前後の売れ行きをキープしている。今のところは女性雑誌の売上(参考までに月刊誌マリ・クレールは56万部、週刊誌ファム・アクチュエルは180万部)には到底かなわないにしても、これから大いに期待できるというものだ。

 こうしてフランス人も少しずつ、こういった雑誌がキオスクで、バイクやヨットといった昔ながらの男性雑誌の横に積まれた光景を見慣れてきたが、アングロサクソンの国々では大分前から当たり前の光景だった。FHMは80年代にイギリスで誕生した雑誌だ。「創刊当時は、真っ赤なカッコイイ自動車や葉巻を取り上げ、ファッションページももっと多いクラシックな雑誌でした」とゴセ編集長は語る。しかし、94年には部数が頭打ちとなり、イギリス大手のEMAPの傘下にはいって、編集部が一新された。気鋭の若手軍団に与えられた使命は、「もっと若々しく、もっと間口の広い、もっと突拍子もない」雑誌へのリニューアルだった(ゴセ編集長談)。そしてFHMの売上は爆発し、1年間で5万部から80万部へと大化けした。 同じく94年、IPCグループもローデッド誌を創刊した(“Loaded”には「山盛りの」「はちきれそうな」「ハイになった」など何重もの意味がある)。「これはもう、雑誌の成功を超えた社会現象」と、ゴセ編集長は説く。

 現代のイギリスは、男性雑誌の黄金郷のようになっている。アメリカ系のメンズ・ヘルス誌の場合、上陸当初はふるわなかったが、わずか1年余で売上を倍増させた。イギリス版を創刊した95年には12万部だったのが、96年には30万部にまで伸びた。ドーヴァー海峡の向こうの国では、毎月400万部以上の雑誌が売れている。つまり、フランスの女性雑誌に匹敵するほどの規模なのだ。モゲルー編集長は、次のように解説する。「95年から96年にかけてイギリス経済が上向き、イギリス人は絶好調でした。ここ数カ月のフランスも、ちょっと似たような状況になってきてますよね」

 まさに、フランスでもどこでも、男性雑誌の売上は消費全体の増加、なかでも男性用品の売れ行きに比例して急増している。男性用化粧品の需要は、ゆっくりではあるが、しかし確実に伸びている。高度コミュニケーション研究所のロベール・エブギュティ所長は、「男性本位を演じるのは、もう時代遅れ」と述べる(1)。「現代では、晴れやかでバイタリティに富んでいることを求められる。内面から健康があふれているような印象を与えなければいけない。(中略)50年代、60年代、70年代に比べて他人の目を気にしなくなった傾向があるだけに、自分の肉体を再発見する快楽が強く認められる。経済的視点からみれば、こうした自己主張が巨大な“エゴ市場”を生んでいる。この種の消費様式は、マウンテン・バイクや滑走系スポーツといったレジャーに象徴されるような、ある種の息抜きの宣伝によく表れています」

 男性雑誌の特集を見ても、「もりもり食べて快適生活!」(メンズ・ヘルス誌)、「男だって整形手術」(Mマガジン誌)、「ファッション大事典」(FHM誌)という具合で、新しい「自我信仰」の時代を感じさせる。

僕たちの居場所はどこ?

 国立学術研究センターの社会学者クリスティーヌ・カストラン=ムニエ女史は、かれこれ10年以上、男性意識の研究を続けている(2)。「これらの新しい雑誌には、全くといっていいほど父親像が出てこない。父親の権利主張運動などとは、おそろしいほど隔たっている。そこには何らの権利主張もない。取り扱われるテーマが、いつも女性雑誌に比べてとても軽い。40年間にわたって女性の解放を支援してきた女性雑誌と比べると。男性雑誌のテーマには、どうしたら女の子とよろしくやれるかとか、問題解決のための性格テストといったものがとても多い。つまり、いつも前面にあるのは即効性ということ。それに比べ女性雑誌は、目がいつも将来に向いている」

 男性雑誌が軽いなんて、そんなことはないとFHMのゴセ編集長は反論する。「女性雑誌を読むと、社会の一員としての生活、家族の一員としての生活、職場での生活といった複数の自分を並行して管理する術を指南するという作りになっています。つまり、とても四角四面なのです。僕たちは、生活管理術を追求しようと思いません。それぞれの読者に見合った本当に役に立つ情報を提供しようとしているのです。僕たちは読者層を、15歳から45歳までというふうに考えています。ここにはいる世代の人々すべてのことを念頭においています。18歳の男の子は、これからやるぞーと思っているわけだし、もっと年配の落ち着いた男性はといえば、まだまだ羽目を外したいと思っている。彼らをひとつの型にはめ込もうとは思いません。今日の男性の願いは、コンプレックスをなくし、あらゆる戒律から、女性たちが彼らに求める役割のすべてから、自分を解放することなのです」

 男性本位の時代が再来したのだろうか? そう片づけてしまうのは早計だろう。派手な見出しを掲げようと、男性雑誌が反映しているのは、結局は新たな男性像さがしをしている世代の居心地の悪さなのだ。「こういった雑誌が伸びてきた理由は、彼らの悩みが人と比べて外れたものではなく、同様の悩みをもつ者が他にもいることが分かる、共通の場を見出したいということだと思う」と、カストラン=ムニエは考える。

 では、何故このように人と同じでありたいと欲するのだろうか? 男たちは母親から、「感情を隠し、心身を鎧で固め、二人分の野心と三人分のガッツをもて」と教えられてきたのに、妻や恋人からは、「優しくあれ、弱みを見せろ、女性的要素を恥じるな」と言われてしまい、一体どうすればよいのか分からなくなってしまった。仕事に出れば女もライバルに加わっているし、家に帰っても、口やかましく、独立心が旺盛で、経済的にも自立した女が待っているだけだ。

 アメリカのライオネル・タイガー氏は著書『The Decline of Males(3)』の中で、「ますます強く自信に満ちた」女たちを前にして、ますます自信をなくした現代の男たちの悲劇的な境遇を描き出している。すべてがまさしくこうなのだ。かつては男の聖域だったパブリックな世界でも女がライバルになってくる中で、何だか男たちがきびすを返してプライベートな世界へ向かっているような感じだ。カストラン=ムニエは次のように言う。「80年代を振り返ると、男性雑誌イルやヴォーグ・オムなどは、いつも男女の違いを強調していた。新しい雑誌が対象にしている男性は、プライベートな領域で独り立ちできるようになった男性だ。これらの雑誌で非常に印象的なのは、読者が基準やマニュアル、自分たちの領分といったものを求める一方で、働く男のイメージが手がかりとはされていないこと。雑誌が提供するのはレジャー中心のライフスタイル、雑誌が指南するのは料理の作り方という具合。これは、いつも働く男のイメージを前に押し出していた過去の男性誌、あるいは総合誌とは全く違っている」

 かつてはひとつきりだった男性像が、今では複数の姿をもつようになった。かつて男性が基準としていた勇気、忍耐、大胆、支配力といった価値は、今や地に落ちた。90年代にはいると、どう見えるかということは次第に顧みられなくなり、どうあるかということ(内省、純真、他人への気配り)に価値が置かれるようになってきた。社会学者のドミニク・パスキエ女史は言う。「今の時代は、男性にとって非常にやりにくい時代になっている。昔の男性像は、どう振る舞うか、金があるか、仕事で成功したか、女性にもてるかどうかなど、簡単な基準をもとに描くことができた。でも、それは女性が家の中にとどまっていた時代のことだった。今日では、男性にとって女性のいない自分の領域を見つけるのは、とても難しくなっている(4)

 その領域、遊びと情報の中間地帯こそ、今の男性雑誌が回復しようとしている領域なのだ。FHM誌は中高生ノリ、Mマガジン誌とメンズ・ヘルス誌は天真爛漫なトーンを打ち出しながら、こうした路線を追求している。その結果、どの男性雑誌についても同じような女性雑誌は見つからない状況になっていると言われる。かつて女性解放運動の旗手となったエルやマリ・クレールは、今でも政治色が強すぎる。他の女性雑誌、コスモポリタンやマリ・フランス、マダム・フィガロなど、ファッションが中心の雑誌はトーンがシリアスで、思いきり遊び心に満ちた男性雑誌とは対照的な路線を行っている。

今時のフランス男

 もう一つの男性雑誌の特徴は、読者の声にとても耳を傾けていることだ。毎月数十ページを占める読者投稿の中心テーマは健康問題だ。一番多いのはセックス関連だが、他にも重いものから軽いものまで、すべてのタイプの健康問題が取り上げられる。しつこい肌の病気、口臭の悩み、迫りくる禿の悩みに、次々と専門医が回答する。最近のメンズ・ヘルス誌では、作家のパトリック・ベソンが昔の女たちとの(波乱含みの)関係を語っているかと思えば、FHM誌では精神科医が、もうじき双子の父親となる読者の不安に答えている。 「読者の手紙の半分以上は、セックスについてです。地方に住む多くの読者が“ちょっと医者には相談しにくい”と言うんですよ。だから、僕たちが兄貴の役割を務める余地があるわけです」とメンズ・ヘルスのモゲルー編集長は語る。「彼らは僕たちに心の悩みを打ち明け、僕たちは彼らの心を落ち着けるようなアドバイスを提供する。簡単に言って、僕たちは女性雑誌がここ30年間ずっとやってきたことをやっているのです!」FHMのゴセ編集長は、読者から毎日20通ほどの手紙が送られてくると言う。「ユーモアをなくさないようにしながら、読者の悩みにきっちりと答えるようにしています。男性たちには語り合える場所がなく、口に出せないままでいることがたくさんあります。セックスについて、女の子との関係について、健康について、気になってしかたがないのに、誰にも相談できないのです」

 情報を提供しながら気晴らしもさせること。こうしたブレンドのうまさが、ここ数カ月の男性雑誌の人気の秘訣になっている。この感じは、人気雑誌の読者のプロフィールを見ていけば分かるかもしれない。若く(FHMの読者の3人に2人は15歳から34歳の間で、メンズ・ヘルス誌の場合は70%)、活動的で、都市に住み(同じくFHMが99年12月に行ったアンケートによると、2人に1人はパリ近辺に居住)、経済的に余裕のある男たちだ。 「初めの頃は、28歳から35歳ぐらいまでの活動的な男性がターゲットでした」とモゲルー編集長は語る。「ふたを開けてみると、読者層は二つに分かれました。“楽しい時を過ごせる雑誌、何だか友達みたいな雑誌だから買っている”と言う25歳の若者と、“スポーツや食生活といった情報面を重視する”という40代に近づいた読者と。というわけで、僕たちは偉そうなルールの説教にならないように気をつけながら、読者に日常的なアドバイスを提供するようにしています。例えば読者は、“ダイエットしたいけれど、友達が話してくれるようなダイエットじゃなきゃ”と考えているわけです。この辺が、どうしようもないくらい生真面目な元来の男性雑誌にはなかったポイントなのです」

 広告エージェントのニコラ・リウ氏は、男性雑誌に出てくる男っぽさ、少なくとも読者のプロフィールから見えてくる男の特徴には、二つの新しい方向性があるとする。「カフェのテラスにたむろする男の一群が、通りかかった素敵な女の子に見とれているショットに、“男はまだまだワルになれる”というコピーをかぶせた広告に見られるように、FHMはいうなれば前向きの男っぽさを象徴しています。“男というのはこういうもので、優しさとか、繊細さとか、女性っぽさなんて身につけたくもない”という方向です」

 もうひとつのパターンは、フランス映画にありがちな情緒不安定な男たちだ。メルヴィル・プポーからジャキー・ベロワイエ、ファブリス・ルキーニ、マチュー・アマルリック、ヴァンサン・ランドンに至るまで、今時のフランス男優演じる男たちは、しょっちゅう落ち込んでいて、何だかヤワで、切れたり悩んだりを繰り返すアンチ・ヒーローだ。ニコラ・リウの解説を聞いてみよう。「つまり、肉体に還元されてしまったコカコーラ・ライトの広告の男のように、対象としてさらされるようになった男なのです(5)。これこそ、メンズ・ヘルスやMマガジンといった雑誌が狙っている読者なのです。これらの雑誌はとても実践的な作り方をして、読者に安心感を与えようとしています。従来の男性雑誌が、男らしく自信に満ちた男性を対象にしているのに比べて、新しい雑誌は、情緒不安定な男性に向けて、“だいじょうぶ、君は乗り切れるよ”というような調子で語りかけているのです」

(1) 1999年11月19日付ル・モンド紙のインタビュー
(2) クリスティーヌ・カストラン=ムニエ著『父親、母親、子供たち』(フラマリオン社、「ドミノス」シリーズ、パリ、1998年)
(3) Golden Books, 1999.
(4) ドミニク・パスキエ著『心情の文化』(国立学術研究センター出版、パリ、1999年)
(5) 毎日同じ時間、若い男が自動販売機の補充にやってくる。その数分前になると、オフィス中の女たちがソワソワし始める。エレベーターのドアがぱっと開き、白いTシャツからたくましい腕を覗かせた男が入ってくる。少々汗だくになりながら補充を終えた彼は、ほっとして、おもむろに良く冷えたコカコーラ・ライトを飲み干す。それに見とれる女たちの夢心地な顔、顔、顔・・・。[訳註]


(2000年3月号)

All rights reserved, 2000, Le Monde diplomatique + Ando Rikako + Saito Kagumi

line
  • 都市出版の「外交フォーラム」誌2000年6月号に関連コラムあり
line
表紙ページ 本紙の位置づけ 有志スタッフ
記事を読む 記事目録・月別 記事目録・分野別
メール版・お申込 読者の横顔
リンク(国際) リンク(フランス)